今井祝雄:皮膜のうちそと
2024. 9.21 [sat] - 10. 26 [sat] 11:00 - 18:00 (土曜日17:00まで) *日月休
2024年9月14日[土]より、芦屋市立美術博物館(兵庫)にて今井祝雄による個展「今井祝雄 − 長い未来をひきつれて」が開催されます。本展は作家活動60年の節目に開催する、美術館での初めての個展となります。
あわせてアートコートギャラリー小展示室にて、心臓音が流れるスピーカーの上で小さな紙片が舞う《踊る心》(1973)を中心とした展示を9月21日[土]より開催いたします。ぜひご高覧いただけますと幸いです。
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皮膜のうちそと
《踊る心》(1973)は親しみやすいユーモアが魅力の作品である。今井自身の心臓音を鳴らすスピーカーの上で、彼の名前が書かれた紙片が跳ねる。踊っているのはスピーカーか紙片か。スピーカーの振動板のふるえが聴覚と結びつき、心臓の脈動に見えてくる。紙片はよくスピーカーの隅や外に落ちてしまうので、鑑賞者が戻してやる必要がある。
この作品をしばらく観察したのであろう今井自身の言葉を聞くと、作品の印象が変わるかもしれない。
僕たちがふつう耳にする音とは、たいてい自分以外からのそれ、外界からの音と決まっている。
それは自分の皮膚外の音であって、これは聴くことに特別の抵抗はない。
ところが皮膚内のそれは、いくら自分の生命の鼓動であるとわかっていても、何とも奇妙な具合である。
むかし鉄腕アトムが胸のドアーを開いてみせる光景のように。
アトムの胸のドアを開けると内部の装置がむきだしになるため、ドアは物語のなかで弱点として扱われる。アトムがドアを自分で開け、弱い部分をさらけだす光景には、どことなく色気がある。むきだしになった心臓音はどうだろうか。
皮膜の内側と外側は今井が関心をもち続けてきたテーマのひとつのようだ。17歳の今井が初めて開催した個展に、矩形や不定形の白い綿布を凸型に隆起させたレリーフ状の作品があった。最初につくられた作品の綿布の裏にあったのは、捨てられていたスピーカーユニットだった。曲線に沿って張られた白い表面は皮膚、大理石、白磁のような艶を漂わせる。白い表面は、矩形の枠に張った白いラバーの表面をモーター仕掛けの棒で突き上げる彫刻《白のイヴェント》(1965)シリーズで、より生物感を強めた。
今井が2008年から始めた、テーブルに張られた白い布のなかでダンサーが踊る《オン・ザ・テーブル》シリーズは、50年ほど前の白い皮膜に対するセルフオマージュだった。書籍『オン・ザ・テーブル──パフォーマンス・イン・ブック』(樹花舎、2010年)は、このパフォーマンスの写真をコマ送りのように掲載している。そのため、ページをめくるたびに一枚ずつ表皮を剥ぐような感触を読者にもたらす。「皮膜のうちそと」という本展覧会のタイトルはこの作品をめぐる今井の文章から取られた。
1970年の大阪万博への参加、72年の具体美術協会の解散といった大きな出来事が起きたころから、今井は同世代の美術家と歩調を合わせるかのように、写真、映像、音響を用いた表現により力を入れていった。彼の最初の写真作品である《SQUARE–glass/grass》(1970)は、草むらに正方形のガラス板を置き、時間の経過とともに変化する様子を撮影した。押しつぶされた草が発する水分によってガラス板は次第に白く曇り、空が映りこんだ。この作品以後、今井は透明・不透明な表面、表面に映るもの、表面の向こうに見えるものの関係を、写真やテレビ、ヴィデオを通じて探求していった。
《踊る心》と《SQUARE–glass/grass》を並べてみると、前者は循環器と、後者は呼吸器と結びつく。感覚のありかたは神経系の機能である。さまざまなメディアを用いた今井の作品は皮膚の内側をさぐり、外側にさらけだすような試みと見なせそうだ。今井の作品を見渡すと、白い皮膚の印象と相まって、そうした作品にはドアを開けるアトムのような色気が感じられる。
金子智太郎 (愛知県立芸術大学准教授)