ACG Reflections 1: Lines – 児玉靖枝・中里斉・八田豊 – 開廊20周年記念展 Vol. 1
前期: 1.24(tue) - 2.10(fri) /後期: 2.24(fri) - 3.18(sat) 11:00 18:00(土曜日-17:00) 日・月・祝 休廊 *前期・後期で一部展示替えあり
注目の若手作家を紹介する展覧会シリーズ「ACG eyes」に続き、豊かなキャリアを持つ作家の表現に焦点をあて、改めてその魅力や時代背景との関係を見つめ直すための企画「ACG Reflections」がスタートします。作品が制作、発表されてから一定の時間が経過した後、現在から見返すことで新たに見えてくるもの、あるいは、異なる素材/メディアによる表現に通底する要素や、同じ時代に異なる場所で生み出された作品が互いに映し出すものを見出し、再考する。そうした”reflections”を可能にする距離・関係性・場を作り出すことを目指します。
第1回目は3人の画家、児玉靖枝(1961-)、中里斉(1936-2010)、八田豊(1930-)の作品を展示いたします。筆線の動きを特徴とする児玉の初期作《natura morta》シリーズ、中里による1970年代の線から色面への移行期を含む表現、八田の1960年代の線刻絵画と2000年代の楮を素材とした作品は、それぞれの思考と時代背景を画面に反映させながら独自の絵画表現を実現していますが、そこには「線」という共通の要素を見ることができます。絵画というメディアに真摯に向き合う三者にとって、画布に線を引くという一見極めてシンプルな行為がどのような意味を持ち、線というイメージが絵画空間にいかに作用したのかを探ります。
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1980年代の精緻な静物画から90年代の抽象期、そして、’90年代終盤以降の抽象と具象を往還する絵画表現を経て現在に至るまで、児玉靖枝は一貫して「存在すること」の本質を探り、またその反照として「いま、ここにいる自分」、そして自らと対象を包む世界への眼差しをとらえようとしてきました。
本展では、’80年代の終わり、瓶や石などの具象物を描いた静物画が次第に抽象性を増していく《natura morta》シリーズを紹介します。対象を写実的に描くと同時に、現実世界から自立した絵画言語としての筆線の動きがモチーフの輪郭を霞ませ、ついには線の集積から成る朧げな形象へと溶かしてしまう本シリーズは、見えることと見えないことのせめぎ合いを引き起し、その先に可視的な世界だけに依拠することのない絵画的次元を開くことで、存在の深奥=「不可知の存在」に出会おうとする試みであり、その後の画業全体に通底する手法・態度を早くも明確に示すものです。
中里斉は1962年に渡米、日本への一時的な帰国を経て’71年に再渡米して以降、ニューヨークを拠点に作家活動を行い、主軸とする絵画の制作に版画におけるイメージ・メイキングの手法・思考法を援用しながら、線と色面による新たな平面表現の可能性を追求しました。
一時帰国中の’68-’71年に制作されたモノクロームの直線による作品は、既成の価値観に抵抗しようとする当時の社会情勢に直面するなか、作家が自身の制作態度を批判的に検証し、絵画をとりまく既存の枠組みを解体すること、そして、アメリカで学んだ版画をベースとするシステマチックな制作理論を取り入れることによって生み出されました。大工道具の墨出し器を用い糸を弾いて画面に線状の痕跡をつける、2000枚の紙にひたすら線を引くなど、ミニマルでありながらも絵画の物質性や身体性への意識を感じさせる線の表現はやがて、カンヴァスに対角線を引くことによって「イリュージョンのためでない、事象としての物質それ自身でもない、平面そのものとしての平面」*1の原点を思わせる力強く簡潔な作品群へと結実します。その後、’71年に再渡米した中里の表現は、線によって分割された領域を彩色し、線と色面、色面と色面の関係によって、一度解体した絵画空間を再定義することへと移行します。境界の塗り残しやはみ出し、オイルスティックで引かれた線の揺らぎ、 あるいはグリッドの組み替えなど、自らが確立した線と色面のシステムを積極的に異化することによって、絵画の構造と具体的な 線・色とが結びつき相互に影響し合う動的な緊張を孕んだ平面空間の数々が生み出されました。
本展では、’70年代初期から終わりに至るまでの中里の絵画表現の流れを辿るように、日本帰国中の線のみで構成された初期作、’79年に発表された線と単色の色面による表現、そして、両者を繋ぐ線から色面への移行期、’70年代中頃に制作されたと思われる作品を展示します。
福井県を拠点とする八田豊は、1950年代初めより画家としての活動を開始し、’80年代に失明してからは聴覚、触覚を駆使し、創作活動を続けています。
戦後、海外からの情報を吸収しながら様々な前衛美術運動が興るなか、八田は「日本の風土で培われた素材から新たな芸術を生み出す、そしてそれを絵の上で試みたい」という意志のもと、当時盛んだったアンフォルメルなどの動向とは一線を画した表現を模索します。’60年代中頃より、カンヴァスや絵具、絵筆を排し、日本の文様や古九谷の図案から着想を得た円を基調とする幾何学的な図像をパルプボードや金属板に線刻するという独自の手法で細密な抽象画を手がけ、数々の展覧会出品や受賞によって高い評価を受けました。失明後は、絵具の滴る音を頼りに偶然の現象と聴覚によるコントロールから生まれる色鮮やかな作品や、紙の原料となる楮を素材に、その触感と物質性を主題とする作品制作に取り組み、今日に至ります。’90年代の終わりから現在まで続く《流れ》と題されたシリーズでは、カンヴァスを埋め尽くすように線状に貼り付けられた楮の樹皮が、物質的な強度とともに、それが育まれた風土、水や大気のしなやかな流れそのものを感じさせ、八田が視力を失ってなお表現者としての歩みを進めることで辿り着いた境地を体現しているかのようです。
本展では、八田の長きにわたる画業の一つの到達点とされる’60年代のカーヴィングによる作品、そして、2000年代の楮による作品《流れ》を通して、70余年の表現に通底する線の反復が織りなす豊潤な世界を紹介します。
1. 中里斉「特集 発言’72=創造の原点」『みづゑ』804号、美術出版社、1972年1月、p.48